11月2日に発売された松任谷由実の新作、『宇宙図書館』。前作から約3年ぶり、38枚目となるファン待望のオリジナル・アルバムです。そのプロダクションでは、Pro Tools | HDXシステムとPro Tools 12のコンビネーションがフル活用されました。プロデューサー/アレンジャーである松任谷正隆さんはプライベート・スタジオで、Pro Toolsと多数のソフトウェア・インストゥルメントを使ってプリプロダクションを実施。そのPro Toolsセッションを起点に生楽器のレコーディングが行われ、ミックスはGoh Hotodaさんとアル・シュミットの二人が手がけました。つまりアレンジ/プリプロダクションからレコーディング、ミックスに至るまで、すべての作業がPro Toolsで一貫して行われたことになります。松任谷正隆さんいわく、“Pro Tools 12の立体的なサウンドが、アレンジにも影響を与えた”という今回の作品。そのプロダクションについて、松任谷正隆さんとGoh Hotodaさんに語っていただきました。(取材協力:Bunkamura Studio)
“コンピューターやシンセの登場は大きい。それまではいかに楽器や録音のことを知っているか、レコーディング後の結果をイマジネーションできるかというのが勝負だった”
—松任谷
——— 松任谷由実さんの新作『宇宙図書館』が発売になりました。前作から約3年ぶりのオリジナル・アルバムとなるわけですが、プロデューサー/アレンジャーとしては今回、どのようなことを考えていたのでしょうか。
松任谷 何も考えてないですね(笑)。どうやったら新しい音になるかなというのはいつも考えてますけど、あまり細かいことは考えないんです。前とは違うものをつくろうと……。でも、自分が好きなことをやろうとすると、グーッとフォーカスが狭くなってしまいますから。毎回、そのせめぎ合いですよね。
——— タイトルやアートワークからは、いつも以上にコンセプチュアルにつくられた作品のような印象を受けます。
松任谷 僕はずっと前から、時間という概念に興味を持っているんです。時間とは一体何なのか、どうして時間というものが存在するのか。『インターステラー』を観ていたときに、ふとそのことを思い出したんですよね。それで、あ、(今回は)そのテーマだなって。まぁ、このテーマ自体はずっと持っていたんですけど、今回、図書館が見えたんですよね。図書館の中に無限の時間があるのはいいなと。図書とかの物体って、時間がないものじゃないですか。しかし読み始めた瞬間に、時間がバーンと広がるでしょう。今回はそんなイメージを盛り込んでみたんです。
——— 時間という概念に興味を持ち続けているのは、時間がないと成立しない音楽をつくっているからですか。
松任谷 いや、それはあんまり関係ない。何か興味があるんですよね。自分が死んだ後に無限に続く時間とか、自分が生まれる前に無限にあった時間とかね。よくわからないじゃないですか。だから自分の中では永遠のテーマなんですよね。
——— 今作のプロダクションはいつ頃からスタートしたのでしょうか。
松任谷 1年くらい前ですかね。その前段で、曲のピースをつくる作業があるんですけど、それを入れると2〜3年くらい。
——— ピースというのは、楽曲の原型ですか?
松任谷 そうですね。曲のピースをつくるのは基本、由実さんで、たまに僕から(ピースを)投げることもあります。そこからキャッチ・ボールになったりもする。
——— ピースの源になるのは?
松任谷 そのときに好きなもの(笑)。あとはCMとか、最初に外から注文があることも多いので。それがヒントになったり。
——— ピースが楽曲となり、アレンジに入る際、松任谷さんはすぐにコンピューターを立ち上げるのでしょうか。
松任谷 まずは頭の中にデッサンを描きます。デッサンができたらコンピューターを立ち上げて、楽器をどうするかという、絵の具探しが始まる感じですね。
——— 何もアイディアがない状態で、いきなりコンピューターを立ち上げたりはしない。
松任谷 それは危険。ジャム・セッションではないので。
——— その昔、松任谷さんが何かのインタビューで、“コンピューターによって譜面やコードから自由になれたのが嬉しい。ようやく音だけに集中できるようになった”とおっしゃっていたのをよく憶えているんですが、やはりコンピューターの登場というのは大きかったですか?
松任谷 大きかったですね。コンピューターもそうですけどシンセも。あれによって、それまで有限だったものが無限になったわけですから。シンセなんかなかった時代は、いかに楽器のことを知っているか、レコーディング後の結果をイマジネーションできるかというのが勝負だったんですよ。楽器や録音に対する知識と、慣れと、考え方と。結果をイマジネーションできないと、スタジオで作業しても“あれ、こんなはずじゃなかったのに”となってしまう。“おかしいな、こういう音のつもりだったのにな”って。シンセが登場する前は、いつもその戦いだった気がします。
でも、コンピューターやシンセによって無限になったからって、イメージしているものがつくれるかというと、そうではないんですよね。なぜかというと、音は記憶とセットになっているから。誰しもそうだと思うんですが、人間というのは音を聴いた瞬間、何かを思い出しているんですよ。頭に浮かばなくても、潜在的に思い出している。音に記憶が必ず反応してしまうんです。特に音楽家は反応するのが仕事だから。その音だったら、こういうフレーズを弾いちゃうというのがあるでしょう。だからコンピューターやシンセによって、いくらでも好きな音がつくれるようになっても、頭の中のイメージとは違うように反応しちゃうんですよ(笑)。難しいですよね。
——— コンピューターの中ですべてが完結できるようになったいまでも、名うてのプレーヤーを集めて、大きなスタジオで録音するのはなぜですか。
松任谷 後で聴き直すとわかるんですけど、自分ひとりでやると、世界が狭いですよね。自分では納得して、これがベストだと思っていたはずなのに、(後で聴き直すと)“あれ、こうじゃないよな”と思うことの方が多い。舞台の演出と同じで、優秀なダンサーがいたとしても、その踊りを10個並べるとすごく小さな画になってしまうんですよ。たとえ揃っていなくても、10個別のダンサーの踊りを並べた方がいい。それと同じですよね。
“Pro Toolsはバージョン12になって音が良くなり、それにインスパイアされてできた曲も多い”
—松任谷
——— 松任谷さんはPro Toolsをいつ頃から使用されているのですか?
松任谷 最初はPerformerだったんです。Performerから始まり、Visionをちょっと使い、Digital Performerになり、それでPro Tools。Pro Toolsにしたのはいつくらいだろうな……。もう憶えてないですね。
——— エンジニアではない松任谷さんが、Pro Toolsを作曲/編曲のツールとして使い始めたきっかけは何だったのですか?
松任谷 きっかけもよく憶えてないんですけど、あの中でミックスまでできてしまうというのが大きかったんじゃないですかね。いま振り返ると、僕は時代を先読みしていたなと思うんですけど、ミュージシャンってみんな貧乏になるんじゃないかと思ったんですよ。80年代から90年代にかけて、ミュージシャンがすごく儲かっていた時代があるでしょう。そのとき僕は、こんな状況は絶対に間違いだと思っていて、ミュージシャンはいずれ貧乏になるはずだから、ぜんぶ自分でできるようにしておかなきゃダメだなって(笑)。
Goh わははは(笑)。
松任谷 だってそうでしょう? ミュージシャンが好きなことをやりながら、それで生活していけるのって、どう考えてもおかしいと思ったんですよ。
——— そんなことを最初に思ったのはいつ頃ですか?
松任谷 いやもう80年代から思ってましたよ。
Goh 確かにドラム・マシンとか出てきたときは思いましたよね。
松任谷 そうそう。だから最後までぜんぶ自分でやればお金はかからないでしょって(笑)。Pro Toolsを使い始めたときのイメージは、確かそんな感じだったと思います。
——— 作曲/編曲のツールとして、機能面での不満はありませんでしたか?
松任谷 あったような気もしますけど、どんどんバージョンが上がっていって……。不便だったこともわからなくなっちゃいましたね(笑)。毎年少しずつ良くなっていったような気がします。
——— 現在はご自宅のスタジオで、Pro Tools | HDXシステムと最新のPro Tools 12を使用されているそうですね。
松任谷 今回(プロダクションを)始める前に、バージョンを12にしたんですよ。新しくなって音源の音が良くなり、それにインスパイアされてできた曲も多いんです。例えば、2曲目の『残火』(註:映画『真田十勇士』の主題歌)なんかもそう。あの太鼓の音を鳴らした瞬間に“これだ!”と思って、そのままアレンジに入りましたね。音の名前は忘れてしまいましたけど。何かPro Toolsは12になって、立体的な音が増えたように感じます。
——— アレンジ作業は、Pro Toolsでソフトウェア・インストゥルメントを鳴らすところからスタートするのですか?
松任谷 もちろんギターやピアノは自分で弾いて録音したり。自宅で録音したものは後で差し替えたりするんですけど、今回はそのままのも多かったですね。
——— 最初からこれは差し替える、これは活かすと決めているんですか?
松任谷 差し替える必要のないものは差し替えませんし。ギターの音でも、いわゆるギターじゃないものはシンセでもいいわけですから。この音は自分では出せないなと思ったら、ギタリストに弾いてもらいます。
——— オープニングの『宇宙図書館』のギターは、松任谷さんが弾かれているそうですね。
松任谷 あれね(笑)。Gohさんに“大丈夫?”って確認しましたよ。
Goh ぜんぜん大丈夫(笑)。
松任谷 最初は由実さんに聴いてもらうためのデモのつもりで弾いたものだったんです。でも何度も聴いているうちに、これ以上の味は出せないかなって。だから弾き直しもせずにそのまま。もちろん、ギタリストに頼めばきれいな音になるとは思うんですけど、僕がイメージしていた味はなくなると思ったんですよね。そういうのは想像がつくんですよ。
——— ソフトウェア・インストゥルメントはどのようなものを使用されているのでしょうか。
松任谷 ピアノは基本、Pianoteqです。もうあれに慣れてしまいました。音色は1つではなく、いろいろ使ってますね。
Goh 今回、松任谷さんから最初にセッションをいただいたわけですけど、エレピで始まる曲があったんですよ。それが本当に良い音で、“これこそ松任谷由実のRhodesの音だ”とすごく感動したんです。“きっと松任谷さんのご自宅にはヴィンテージのRhodesがあって、それで録音しているに違いない”と。後日、松任谷さんに“あのRhodesの音、すばらしいですね”と言ったら、“あれ、ソフト・シンセだよ”って(笑)。それにはビックリしましたね。
松任谷 Velvetですよ(笑)。
Goh モノ・ボイスのリードも入っていて、それもヴィンテージのMinimoogとかARPとかなのかなと思ったら、ソフト・シンセだった(笑)。
松任谷 よく憶えてないですけど、多分、Omnisphereかな(笑)。そういうヴィンテージのシンセもまだあるんですけどね。
——— 松任谷さんが自宅でつくられたPro Toolsセッションを起点に、レコーディングはスタートするんですか。
松任谷 そうです。最初は本当に(Pro Toolsは)Digital Performerの代わりだったんですけど、どのスタジオに行ってもPro Toolsですから。これがテープ・レコーダーの代わり、すべての元になっていきましたよね。そういったファイルの受け渡しも、最近はインターネット経由でできるようになったので。
——— Pro Toolsには、バージョン12.5でクラウド・コラボレーション機能が付きました。
松任谷 そうですよね。あと一歩でいろんな人たちといろんなことが同時にできるようになるのかなと。
“楽器の立体、空気の立体が見えることがいちばん大事。音を重ねていくことで、その立体がベタッとなってしまうのがいちばん嫌”
—松任谷
——— 今作ではGoh Hotodaさんが7曲参加されていますが、そもそものきっかけは何だったのでしょうか。
松任谷 もちろんGohさんのことは前から存じ上げていて、その昔スタジオが隣り合わせだったこともあるんですよ。Gohさんは確か、宇多田ヒカルさんをやられていたのかな。それである人に、“Gohさんってどんな人?”って訊いたら、“パーフェクショニストですよ”って。僕もパーフェクショニストだし、Gohさんに頼むのはどうだろうと思ったのを憶えています(笑)。でも昨年、実験的に1曲お願いしてみたんですよ(註:ベスト・アルバム『日本の恋と、ユーミンと。 〜 GOLD DISC Edition 〜』収録の『気づかず過ぎた初恋(Extra Winter Version)』)。1曲くらいだったら、パーフェクショニスト同士衝突があってもいいだろうと(笑)。
Goh わははは(笑)。でも最初は緊張しましたよ。昔から由実さんと松任谷さんのファンでしたからね。これは眠れないぞって。
松任谷 結果、すごく良かったんです。3Dな感じというか奥行き感があって。あの曲の宇宙感は、今回のアルバムのサウンド面でのヒントになったかもしれませんね。
——— 今回はGohさんにどのようなことを伝えたのですか?
松任谷 ほとんど話してないと思いますけど、去年お願いした曲の印象については話しましたね。あの3Dなサウンドが良かったので、“ああいう感じでまたよろしく”って。
——— それを受けてGohさんとしては?
Goh 基本的には(前回と)同じなんですけど、今回は録音からやらせていただけるということで、いちばん新しい音を松任谷さんに聴いていただこうと。マイクロフォンやコンバーター、スピーカーとか、最新のものを使って、新しい音を一緒につくれたらいいなと思ったんです。
松任谷 今回、リファレンス・スピーカーもGohさんに合わせてAmphionに替えたんですよ。Amphionは好きですね。僕、ProAcがけっこう好きだったので、その延長線上にある感じで馴染んでいます。あとマイクロフォンも替えました。ずっとアンティークなC12を使っていたんですけど、Gohさんお勧めのオーディオテクニカに。
——— Gohさんはトラッキングから手がけられるのは久々だったのでは?
Goh そうですね。あんまりないですね。
松任谷 (トラッキングから依頼するのは)基本だと思うんですよ。好みではない音を持って行って、“これ、ミックスして”というのは失礼でしょう。
Goh でも、そんなのばかりですよ(笑)。
——— 日本でのレコーディングはBunkamuraで行われたとのことですが、Gohさんの録音を見ていて印象に残っていることはありますか?
松任谷 ストリングスの録音のアプローチは、すごく好きでしたね。ストリングスは本当に難しくって、40年間ずっと悩んできたんですよ。僕はやわらかい音が好きなので、サイレンサーを楽器に取り付けて演奏してもらったりとか。でもそんなことをすると、音はやわらかくなってもダイナミズムが損なわれてしまう。それでGohさんはどんな感じでやるのかなと見ていたら、スタジオのEMTを使って録音するんですよ。
Goh 僕は無指向のマイクを使って録音するんですけど、今回はプリ・ディレイとしてEMTのチェンバーを使ったんです。リバーブもストリングス・サウンドの一部という考え方で。大昔にロサンゼルスのエンジニアにおしえてもらったテクニックなんですけどね。
松任谷 それが本当にやわらかくてダイナミックなサウンドで。日本で録るストリングスとしてはベストだなと思いましたね。
——— ミックスでのチャレンジはありましたか?
Goh なるべく新しいプラグインを使うようにしましたね。たとえば普通だったらEQを使うような場面でも、サチュレーターを使ってハイを上げたりとか。それによって正面にベタッと張り付く音と、遠くにある音のコントラストを出したり。特に今回は音数が少ない曲もあったので。
——— 松任谷さんのアレンジは、音数が少ない?
松任谷 どうなんですかね。昔は(PCM-3348の)スレーブを5本くらいつくってやってましたけど(笑)。そのうち足し算があまり好きではなくなっていったんですよね。でも、何か余計なものが多くて、相変わらず自分のサウンドは好きではないですよ。何か違う、もっとできるはずだと常に思ってますけどね。
——— 足し算が好きではなくなったというのは、デジタルになって音の解像度が上がっていったのと関係していますか。
松任谷 そうね。やはり楽器の立体、空気の立体が見えることがいちばん大事だから。音を重ねていくことで、その立体がベタッとなってしまうのがいちばん嫌ですよね。
Goh エフェクトなんかも一緒ですよ。必要なところに必要なだけ。
——— Gohさんとの間ではキャッチ・ボールがあったんですか。
松任谷 すごくありましたねぇ。Gohさん、たくさんバージョンをつくるんですよ。昨日新しいミックスを聴いたばかりなのに、朝起きるとまた別のバージョンが届いている(笑)。“Gohさん、他のアーティストでもこんなにバージョンつくるの?”って驚きましたよ。
Goh いつもこんな感じですよ。終わりがないですから。
松任谷 でも新しいバージョンが、僕には違いがわからなかったりするんです(笑)。メールには“どこそこを変えました”と書いてあるんですけど、よくわからない(笑)。
——— 本当に微妙な違いなんですね。
Goh 微妙でもないんですけどね。後で聴き直すと、“やっぱりあそこはカットした方がよかったかな”とか。
松任谷 やっぱりGohさんは、ただのエンジニアではないんですよね。プロデューサーのパースペクティヴをすごく持っているから。それがうまく噛み合えば、パーフェクトなものになりますよね。
——— 6曲目の『星になったふたり』では、GohさんがAdditional Productionとしてもクレジットされていますね。
松任谷 知らない間に(音が)足されていたんです(笑)。
Goh 松任谷さんからいただいたセッション・ファイルに、MIDIデータが入っていたんですよ。ウチにも同じライブラリーがあって、ほぼ完璧に再現することができたので、いくつかバージョン違いをつくったんです。だからまったく違う音を足したわけではないですね(笑)。
松任谷 これは新しいやり取りだなと思いましたね。エンジニアがミックスだけでなく、ペイントもしてしまうという。
——— 松任谷さんのセッションに新しい音を足すなんていうのは、普通のエンジニアだったらできないですよね。
Goh 恐れ多くもね(笑)。でも、ニューヨーク時代は当たり前のことだったんですよ。AMSのサンプラーで音を差し替えたりとか。それがそのうちAKAIになって。
松任谷 こういうのは初めてだったんですけど、今回はすごく合いました。おもしろかったですし。もちろん、自分でできることは自分でやりますし、合わないと感じたらカットしてもらいますから。今回はそのコミュニケーションもうまくいきましたね。
“エンジニアは音楽家がつくった音の最後を預かっているわけだから終わりがない。でも月の満ち欠けと同じで、どこかに満月がある”
—Goh
——— 今作にはもう一人、アル・シュミットもエンジニアとして参加しています。
松任谷 アルとは何枚か一緒につくっているので、自分の中で安心感がある。Gohさんは新しいチャレンジ(笑)。だから攻撃的なのはGohさんに、保守的なのはアルにお願いしました。
——— GohさんはPro Toolsミックスとのことですが、アル・シュミットは?
松任谷 彼はコンソール・ミックスですね。Neveを使っています。
——— そのあたりはエンジニア次第という感じですか。
松任谷 そうですね。料理をつくるのはシェフなわけですから、彼らの得意な方でやるべきだと思っています。Pro Toolsミックスに関しては、これが最終形だとは思っていないんですよ。まだ過渡期で、これからアナログの機材が混ざったり、テープが回り始めたり、いろいろなことがあるんじゃないですかね。
Goh 僕もサミングのコンソールを脇に置いて、(Pro Toolsミックスと)聴き比べることはありますね。やっぱり、あの音をクッと上げたいというときに、すぐできるのはアナログのコンソールですから。コンピューターだと、画面でチャンネルを探すところから始めないといけないですし(笑)。今回も何曲かアナログでミックスしてみたんですが、奥行き感とかがデジタルの方が良かったんです。その昔、SSLとPCM-3348の組み合わせが最先端だったように、今はPro Tools | HDXシステムの32bit浮動小数点ミックスのサウンドが最先端だと思っています。あと今回、松任谷さんからいただいたセッションが96kHzだったんですよ。96kHzですと、プラグインの“ノリ”が違いますよね。リバーブとかが全然違う。
——— 松任谷さんのプロダクションはずっと96kHzなのですか。
松任谷 そうですね。96kHzが出たときからずっと。
——— ミックス・マスターのフォーマットは?
Goh 僕がミックスした曲は96kHzです。
松任谷 アルは192kHzですね。
——— マスタリングは、バーニー・グランドマンが手がけていますね。
松任谷 すごくうまくいったと思います。実はバーニーのところに行くまでは恐かったんですよ。まるで(二人のエンジニアの)世界観が違ってしまったらどうしようって。木星と金星くらい違ってしまったらどうしようと(笑)。でも結果、すごくうまく共存できたなと思っていますね。
Goh 僕もそう思います。それにしてもアル・シュミットのミックスはすばらしいですね。あの音の解釈は、みんな見習うべきだと思う。空間や位相の使い方が本当にすばらしい。逆相にして聴いてみるとわかるんですけど、何だかよくわからないリズムのディレイがかかっていたりするんですよ。それを普通に聴いてみると、そんなディレイはまったく聴こえないわけです。何か独自の方法論があるんでしょうね。今の若い人はPro Toolsから始まってしまっているから、すべてが正確なのが当たり前になっていると思うんですけど、あの音の解釈はぜひ見習ってほしいですね。それとミックスだけでなく録音のテクニックも。これは想像なんですけど、僕と同じように無指向のマイクロフォンを使っているんじゃないですかね。無指向のマイクロフォンを使うことで、スタジオの中に鳴っている以上の音を捕らえようとしているというか。空気感を捕らえるテクニックですよね。あの録音はお手本になりますよね。
松任谷 おもしろいのは、アルのアプローチとGohさんのアプローチが180度違うことなんですよ。横で見ていてすごくおもしろい。
——— どのあたりが違いますか?
松任谷 なんて言えばいいのかな……。Gohさんは、油絵的というか。アルは水彩画的。Gohさんは、ある部分にまったく違う色を塗ったりするわけですよ。波の白さを強調するために、白以外の色を使うというか。アルのアプローチは一筆書き的で、そういう別の色を使ったりはしない。その違いがおもしろいですよね。
Goh そうですね。立体的に見せたいと思ったときは、インパクトをつけるために色を変えたりとか。そうすると“おっ!”という音になる。僕の場合、まずは自分自身が驚きたいんですよ(笑)。
——— 今作は、24bit/96kHzのハイレゾ音源を収録したBlu-rayとアナログ・レコードを同梱した限定盤も用意されていますが、昨今のハイレゾやアナログ・レコードの流行をどう見ていますか。
松任谷 ソニーがSuper Audio CDを出したとき、僕は全部あれになってほしいと思ったんです。僕にとってはマスタリングで、44.1kHzにしなければいけないのが地獄なんですよ。本当に最低だと思っていて、マスタリングがいちばん嫌いなんです。何か(自分の音が)レトルトや乾燥麺にされてしまう感じがして。だから当然、ハイレゾはウェルカム。ハイレゾになるべきだと思っています。アナログ・レコードに関しては、さっき車の中で聴いていたラジオでも最近流行っているという話をやっていましたね。そういうのを知ってしまうと、ちゃんとしたものをつくらなきゃいけないなと思いますよ。
——— 長いインタビューになってしまいましたが、本作の聴きどころをおしえてください。
松任谷 聴きどころ。何だろうな……。世界観ですかね。今回は出来上がって、“やった!”という満足感があったので。もしかしたら今まででいちばん大きかったかもしれない。その昔、Synclavierで作った作品なんかは、出た瞬間に廃盤にしてほしいと思ったりしたんですけど(笑)。今回は満足感がありますね。
Goh サウンド的にもすごく聴きどころのある作品だと思います。そういう音がたくさん入っていますから。
——— 最後に松任谷さんのような音楽家、Gohさんのようなエンジニアを目指している若い人にメッセージがあれば。
Goh エンジニアは音楽家がつくった音の最後を預かっているわけです。だから妥協はできないですよね。本当に終わりがない。でも月の満ち欠けと同じで、どこかに満月があって、それを過ぎると今度は欠けていってしまいますから(笑)。その見極めは大事ですね。
松任谷 さっきも言いましたけど、人間誰しも音に対して何らかの記憶があるんですよ。その記憶と会話することで音楽をつくっている。だから頭の中に思い描いた音と、実際に出る音を上手く会話させながら、音楽をつくっていくのが大事なんじゃないかなと思っています。

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